現在当館(横浜旧軍無線通信資料館)は帝国陸海軍が高層観測に使用したラジオゾンデについての纏めを進めている。帝国陸軍は気象観測に熱心で、1932年(昭和7年)から高層気象観測用ゾンデの研究を始め、1933年(昭和8年)に観測の基本である気温、気圧、湿度を測定する各ゾンデ(3要素ゾンデ)を開発した。 これらのゾンデは各測定項目のデータを発振周波数の変化に置換する方式で、観測用ゾンデの基本構成である。因みに、海軍の3要素ゾンデの発振周波数は気圧(高度)が14-17MHz、湿度が20-23MHz、温度が24-31MHzである。 ところで、此れ等高層観測用ゾンデとは別に、当館には是非その概要を纏めてみたいゾンデが二つある。 その一つは帝国陸海軍が米国本土の攻撃を目的として、1944年(昭和19年)の11月から放球を開始した「風船爆弾」に搭載されたゾンデで、もう一つは、B-29による広島、長崎への原爆投下に際し、直前にパラシュートで降下させた観測用ラジオゾンデである。 風船爆弾のゾンデに関わる資料は殆ど無い。一方、広島、長崎上空で降下させたゾンデについては間もなくして回収され、海軍の技術者により調査が行われた。しかし、残念ながら現在まで、その資料に接した事は無い。 上記の如く誠に冴えない状況ではあるが、先ずは以下に於いて、現在判っている範囲で、原爆観測用ラジオゾンデについて概観をしてみた。原爆観測用ゾンデ関連資料 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍はB-29により広島にウラン型原子爆弾を投下し、続いて三日後の8月9日には長崎にプルトニューム型原爆を投下したが、その何れに於いても、直前に観測用ラジオゾンデ各3器をパラシュートで降下させた。 広島では観測用ゾンデの一つが回収され、これは呉海軍工廠電気部に持ち込まれ、部長であった大野茂も参加し分解調査が行われた。この時の様子は参加者の一人により水彩画で描かれ、この絵は現在広島平和記念資料館が所蔵している。ゾンデ水彩画https://hpmm-db.jp/list/detail/?cate=picture&search_type=detail&data_id=50006 回収されたゾンデの直径は約30cm、全長は約1.5mで、先端部分(下部)には観測用のセンサーが装置されていた。センサー部分の直径は20cm、長さが44cmで、現在この観測部は広島平和記念資料館が所蔵している。https://hpmm-db.jp/list/detail/?cate=artifact&search_type=detail&data_id=19314 一方、長崎では3器のゾンデ全てが回収され、直ちに諫早の海軍施設で調査が行われた。この内2器は終戦後米軍に引き渡され、残り1器を長崎平和資料館が所蔵し、展示を行っている。しかし、之も内部の主要機材は米軍に返却されたとの事である。観測ゾンデの構成 原爆観測用ゾンデは発振部、電源部、観測部により構成されていたと考えられ、現在把握できた構造は以下の様なものである。☆発振部 長崎原爆資料館には回収されたゾンデの発振部が展示されており、その構造を知ることが出来る。装置は双五極管829Bと覚しき真空管により構成されたP.P.構成の自励式発振器で、コイルや蓄電器の容量から発振周波数は60-80MHz程度と推察される。送信出力は不明であるが、構成から10-20W程度と考えられる。 観測データーの発信方式については不明であるが、本ゾンデの観測目的は原爆が爆発した瞬間のデータ収集であり、測定項目を重複して送ることは出来ない。このため、伝送方式は当時の一般的な高層観測用ゾンデと同一の発振周波数可変方式で、一種類のデータを発信したと推察される。☆電源部 通常の高層観測用ラジオゾンデの場合、送信出力は100-200mW程度である。一次電源には非常に小型の蓄電池が使用され、之でバイブレータ式電源装置を駆動し、発生する120V程度の交流出力を直接発振管に加圧している。 一方、原爆観測用ゾンデの送信出力はこれに比べ非常に大きく、高圧発生装置は大型の蓄電池で駆動するバイブレター式又は直流電動発電機式の何れかであったと考えられる。しかし、本ゾンデの観測時間は数分程度であったと推察され、このため、高圧乾電池方式の可能性も否定できない。☆観測部/測定項目 本ゾンデは観測の特殊性より、測定項目は重複せず、降下させた3器のゾンデで3項目を測定した可能性が高い。 観測項目については爆圧、放射温度、放射線強度他色々と推察されるが、長崎原爆資料館は、米国より提供を受けた爆圧の測定結果と考えられるラジオゾンデの記録を所蔵している。このため、爆圧については確実であろうが、他の項目については不明である。 ところで、「ラジオゾンデの信号はグアム島の米軍基地で受信し、原爆投下の成功を確認した」とする記述をよく目にするが、これは間違いであろう。等価地球半径の関係で、光と同じ直進性を持つVHF波は2500km南方に位置し、遙かに見通し外のグアム島には到達出来ない。広島、長崎の原爆投下に際し、爆撃機は気象観測機や科学観測機を随伴した。このため、ゾンデよりのデータは此れ等支援機により受信されたと考えるのが妥当である。 なお、長崎に投下された3器のラジオゾンデには、日本の物理学者嵯峨根良吉に宛て、日本が降伏する事を進言した手紙が納められていたが、以下のwebページにはその全文が掲載されている。https://www-peace--nagasaki-go-jp.translate.goog/abombrecords/b020105.html?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=wapp