最近「ヤフオク!」に品川電機製のVHF用五極管ME-664Aが頻繁に出品されている。この真空管は陸軍の初期型レーダーを構成する受信機のフロントエンドに使用され、概観はエーコン管を大型にした様な形状である。 本管は特殊な構造、用途のため、真空管好きには人気で、残存数も少ないのか、以前は誠に高価で取引されていた。しかし、最近は2,000円を大きく超える事は無く、この辺りが相場となっている。 当館(横浜旧軍無線通信資料館)は帝国陸海軍の電波兵器構成機材及び真空管を収集しており、ME-664Aもその対象であるが、不思議なもので、値が行かないと収集意欲も減退し、最近は応札をする気にもならない。 ME-664AはVHF帯用の検波・増幅管で、住友が陸軍の要請により開発したとの事であるが、残存球より、生産は主に小型の特殊管を多く製造した品川電機が行ったと考えられる。☆ME-664Aの開発 RCAは1934年にUHF帯での使用が可能なエーコン管、954(五極管)を開発した。我が国ではマツダが1938年頃にUN-954として国産化をしたが、高周波数での動作不良が多く、また、リード線のガラス封止が悪く、ソケットに装着すると根元が割れる等多くの問題があり、歩留まりが非常に悪かった。 このため、既設技術のボタンステム構造を応用して、リード線を横に引き出し、足を別ベースに取り付けた構造のME-664Aが開発され、UN-954と同じ目的に使用された。しかし、当然の事として、本管の高周波数帯に於ける動作はエーコン管に比べ非常に劣っていた。☆ME-664Aと装備機材 陸軍はME-664Aを電波兵器の受信機に使用したが、同時期に開発された海軍の電波兵器にその使用例は無い。 1939年(昭和14年)年の暮れ、陸軍はドップラー式レーダー「超短波警戒機甲」の基礎研究を完了し、翌年より実戦配備を進めた。本機を構成する受信機のフロントエンドにはME-664Aが使用されており、このため、本管の開発は其れより遡るはずである。 陸軍は「超短波警戒機甲」に続き、1941年の秋に初のパルス式レーダー「超短波警戒機乙」を開発するが、この受信機にもME-664Aを使用した。「超短波警戒機甲」の運用周波数は45-75MHzで、「超短波警戒機乙」は65-83MHzであり、共にその運用周波数は比較的低い。 また、その後開発された対空射撃管制レーダー「タチ3号」の受信機にもME-664Aが使用されたが、本機の運用周波数も78MHzであった。 以降陸軍は各種のレーダーを開発するが、運用周波数は何れもが100MHz以上で、ME-664Aが使用される事は無かった。このため、ME-664Aの実用上限周波数は100MHz近辺と考えられる。 ところで、戦前は1940年(昭和)に開催が予定されていた東京オリンピックに於けるTV放送に向け、この周波数帯の研究が各分野で飛躍的に進んだ。国際情勢や国内事情によりオリンピックは返上されたが、1939年5月13日の放送会館の落成式に合わせ、砧の日本放送協会技術研究所よりテレビジョンの試験電波が発射され、この時期各種の受像機が開発、販売された。 このため、超短波警戒機甲や乙、海軍のレーダー1号機である1号電波探信儀1型(11号電探)の開発には当時のTV技術が全面的に転用された。