この度、オランダの大戦期ドイツ軍電子技術研究家であるErich Reist殿より、以下の品々を当館(横浜旧軍無線通信資料館)に御寄贈いただきました。Erich Reist殿には日頃ドイツ軍無線機及びレーダーに関わる情報や写真を御提供頂いています。
Erich Reist殿のご協力に、心より感謝申し上げます。
御寄贈品
・大戦期ドイツ軍同軸ケーブル各種
・大戦期ドイツ軍マイクロ波用検波器ED704
なお、御寄贈頂いた同軸ケーブル及びマイクロ波検波器については、別途掲示の予定です。
Donations from Mr. Erich Reist
We are pleased to announce that Mr. Erich Reist, a Dutch researcher specializing in German military electronic technology during the wartime period, has generously donated the following items to the Yokohama WWU Japanese Military Radio Museum.
Mr. Reist has consistently provided us with valuable information and photographs related to German military radios and radar. We sincerely appreciate his continued cooperation and support.
Donated Items:
・Various types of wartime German military coaxial cables
・Wartime German military microwave detector ED704
先般FB 「WWII German Signals and Communications Equipment」のドイツ人メンバーより標記のブラウン管(CRT)を購入し、本日到着した。このCRTはドイツの代表的対空監視レーダーであるFreyaの主監視装置を構成するHR2/100/1.5 (直径100mm)で、本管は内部には二本の電子銃を具え、二波形を表示する。
当館は以前よりFreyaの構成機材を入手したいと考えていたが、当然それは無理で、このため、本機を象徴するこのCRTの入手を切望していた。到着したCRTは考えていた以上に大きく、電子銃も真に立派で感激した。これで、懸案がまた一つ解消し、誠に幸いである。
ところで、本CRTの入手に際し、出品者はPAYPALでの支払いを受け付けず困ったが、幸いにもオランダのメンバーであるErich Reist氏が代行し銀行振り込みを行ってくれた。Erich Reist氏のご協力に心より感謝を申し上げる。
When I tried to buy this CRT, the seller did not accept payment by PAYPAL, which was a problem, but fortunately Mr. Erich Reist, a member from the Netherlands, made the bank transfer on my behalf. I would like to express my sincere gratitude to Mr. Erich Reist for his cooperation.
Freya(フライア)
本機はドイツGEMA社が当初海軍の依頼により1937年に開発した地上設置型の対空早期警戒用レーダーで、標的の方位角及び距離の二諸元を測定した。空軍に於けるフライアの導入は1939年で、当初本機の測定は最大感度方式であったが、その後等感度方式に改良された。
ドイツ空軍は早い時期に敵味方識別装置(IFF)FuG25aを導入したが、このためフライアにもIFF信号の測定機能が追加され、IFF用受信空中線は既設空中線装置の上部に設置された。機上のFug25aはフライアの送信波を受信すると、そのバルスに識別用の変調を行い156MHzで返送した。IFF機能の追加により、改修型のフライアは今般入手した電子銃が二重構造のCRTを使用し、探索、測距、方位等感度測定用の反射パルスをCRTの上部に、IFFの返送パルスをその下に併せ表示した。
フライアにはLIMBER型と、改良型のPOLE型があり、共に分解移動が可能な構造である。LIMBER型は88mm高射砲基台の上部に木製の短信室を載せ、その上部に空中線装置を設置した構造で、探索は短信室を回転させ行った。POLE型は短信室の中央に空中線装備用のパイプを建て、測定は空中線装置のみを回転させ行う構造である。
本機の公称探索距離は200kmで、大戦後期になるとその探索範囲の拡大が要望され、遠距離監視型として海軍は仰角測定機能を具えたWasserman(ワッサーマン)を、空軍は空中線位相合成方式のMammute(マムート)を導入したが、空中線装置を除く両機の主装置は既設フライアの転用、または、一部機能を追加したものである。
帝国海軍とFreya
1941年(昭和16年)1月、帝国海軍は英国と熾烈な戦いを交えていたドイツに軍事視察団を派遣したが、団員であった伊藤庸二造兵中佐(当時)他電子機器関係者はドイツ海軍より対空監視レーダーの概要説明を受け、また、3月23日の夕刻、ロリアン軍港(フランス)近郊でFreyaを検分する機会を与えられた。
当時帝国陸海軍は英独他各国に駐在する武官等よりの情報を基に、レーダーの研究を始めていたが、肝心な電波形式が判然とせず、本格的開発には程遠い状況であった。しかし、伊藤中佐らの調査により、発射電波はパルス変調方式である事が判明し、また、送受信用空中線や送受信機、波形表示方式等も明確となり、この情報は電報により直ちに海軍本部に報告された。以降帝国陸海軍のレーダー開発は急速に進捗し、海軍は1号電波探信儀1型を、陸軍は電波警戒機乙を開戦の直前に完成させた。
Freya(等感度測定式)諸元
用途: 対空早期警戒
運用周波数: 125MHz
繰返周波数: 500Hz
パルス幅: 2μs
尖頭出力: 20kW
送信空中線: 半波長ダイポール垂直6列2段、金網式反射器付
受信空中線: 半波長ダイポール垂直3列2段左右二組(等感度測定構成)、金網式反射器付
送信機: 発振管TS41 x2(P.P.構成 )
変調方式: パルス変調管RS391
受信機: Wスーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段、第一中間周波増幅2段、第二中間周波増幅2段、低周波増幅1段
中間周波数: 第一中間周波数15MHz、第二中間周波数7MHz、帯域幅900kHz
測定方法: 等感度方式
信号表示: Aスコープ方式
有効測定距離: 150km
測距精度: ±50m
測角精度: ±0.2°
設置場所: 海抜60m以上
電源: 一次電源380V
新年早々、英国の電子技術史研究家であるMike Dean氏より、帝国陸海軍のレーダー開発に計り知れない影響を与えた「ニューマンノート」の所蔵者、ニューマン伍長の消息について、素晴らしい情報の提供があった。
提供資料によると、ニューマン伍長の正式な氏名はNewman Joseph Walterで、出身はエセックス州ダゲナムである。伍長は英国陸軍対空砲兵連隊のレーダー機器担務要員で、1941年(昭和16年)12月25日に香港で日本軍の捕虜となり、深水捕虜収容所に抑留された。
その後、ニューマン伍長が本国でレーダー教育を受けた際に纏めた英軍レーダ機器に関わる個人ノートがシンガポールで日本軍の技術調査団により発見されると、彼は重要人物として東京品川の刑務所(捕虜収容所)に移送された。以降彼の消息については不明であったが、幸いにも無事に帰国出来たようで、1997年2月6日に英国で亡くなったとの事である。
香港で捕虜となったニューマン伍長の手記が、その後シンガポールで発見された経緯について、Mike Dean氏は以下のように推察している。
「英軍ではレーダーに関わる兵の学習ノートは機密資料扱いで、内容確認のため担当部門に提出され、調査を受ける。このため、学習ノートは訓練コースの終了時に提出され、その後、正式な機密郵便で学生の新しい部隊に転送されるのが通常で、このため、ノ ートはシンガポールを経由し、ニューマン伍長に輸送中であった可能性が高い。しかし、香港が降伏したため、ノ ートを転送しようとしても意味が無くなった。(よって、廃棄された)」
「ニューマンノート」
1942年(昭和17年)2月15日にシンガポールが陥落すると陸軍は技術調査団を直ちに派遣し、英軍の軍事技術全般に関わる現地調査を実施した。この折り、ブキテマ高地の高射砲陣地裏手の焼却場より、電子回路を書き留めたノートを発見した。
ノートの所蔵者は英陸軍兵器部隊所属のNewman(ニューマン)伍長で、彼は対空早期警戒レーダーC.D./C.H.L.(Cost Defense/Chain Home Low)や探照灯管制レーダーS.L.C.(Search Light Control)他の動作概要、取扱法及び主要構成回等を克明に転記していた。
英軍の電波兵器に関わる機密保持は徹底しており、降伏前にその主要構成機材は徹底的に破壊され、調査団はシンガポールでレーダーの可動機を入手することは出来なかった。
しかし、ニューマン伍長のノートは南方軍兵器部により「ニューマン文書」として纏められ、研究各部門に配布され、我が国のレーダー開発に多大な影響を与える事になった。また、ニューマン文章により、敵国が当時日本では殆ど評価されなかった八木・宇田アンテナをレーダーに使用していることが判明し、我が国の科学者、技術陣は愕然とした。
南方軍兵器部が作成した「ニューマン文書」は50余頁の冊子で、「ニューマンノート」の記述が欧文タイプで打たれ、併せ、図面類や電気回路図が写真製版で添付されている。
「ニューマンノート」が発見されると、彼は重要人物とし1942年(昭和17年)4月頃迄に東京品川の捕虜収容所に送られた。この時期陸軍技術研究所2科(測距担当部門)で対空射撃管制用レーダーの開発を模索していた岡本正彦技術大尉(注-1)は直接ニューマン伍長に合い、その内容について尋問を行いているが、以後彼の消息は不明となる。
「ニューマン文書」の発見
1988年(昭和63年)、八木秀次博士を尊敬し、長年に渡りニューマン関連資料の探索を続けていた上智大学名誉教授の故佐藤源貞先生は元陸軍技術少佐塩見文作(注-2)宅で「ニューマン文書」を発見し、その経緯を1990年(平成2年)3月にテレビジョン学会無線・光伝送研究会に於いて「八木アンテナに関する秘話」として口頭発表された。
後に本稿はHAM Journal(平成4年3月・4月号)に掲載され、以降「ニューマンノート」、「ニューマン文書」の研究が進むことになった。
特に八木和子氏を中心とした「ニュー・ぐるーぷ」はその研究成果を「第二次大戦秘話・ニューマン文書」及び「ニューマンノートの謎」(Vol.T、U、 III)として纏め、公表するなどし、活発に活動した。
なお、佐藤先生が発見された「ニューマン文書」は、現在八木・宇田両先生縁の東北大学史料館に保管されている。
若干の追記
今般提供を受けたMike Dean氏の資料により、之まで消息が不明であったニューマン伍長が無事英国に帰還した事が判明し、誠に幸いであった。これらについて佐藤源貞先生や「ニュー・ぐるーぷ」に報告をしたいが、各位は既に鬼籍に入られ、その術が無く残念である。
(注-1) 岡本大尉(当時)は本資料に記載されていたS.L.C.の資料を参考に帝国陸軍初の対空射撃管制レーダーの開発を主導し、タチ1号・2号を完成させた。
(注-2) 塩見文作技術少佐は戦前民間が開発した西村式小型潜水艇を使用し、水中に於ける音響伝播の調査、研究を行った。大戦後期となり、この経験が注目され、少佐は陸軍の輸送用潜水艦「ゆ」(○の中に「ゆ」)の建造指揮官に任命され、数隻を完成させた。
新年あけましておめでとうございます。
本年が皆様にとり幸多き年となりますよう、心より祈念申し上げます。
2025年 元旦
横浜旧軍無線通信資料館
土居 隆
先般掲示したドイツ陸軍送信機「5W.S.」に関わる「交換希望」であるが、幸いにもドイ人収集家の格別の配慮により実現し、先週無事到着した。
5W.S.は1930年代の中頃に導入された野戦用送信機で、構成は三極管2RS241二本による主発振・電力増幅方式であり、電波形式は電信(A1)、電話(A3)である。
早速各部の点検を行ったが、幸いにも本機に然したる欠品は無く、原状を保っていた。このため、簡易な動作確認試験を行ってみた。
A電源の4V、B電源の250V(定格300V)は安定化電源より供給した。疑似空中線には5W/100Vのランプと50Ωのダミーを使用し、試験は2,000kHzで行った。
モードをA3に設定し、電源を入れると、装置は呆気ないほど簡単に発振し、接続しておいた5Wのダミーランプがぼんやりと点灯し、また、各計器も動作した。
線條電源に定格4Vを加圧し、電流は1.1Aである。2RS241一本に大凡500mA程度流れている事になる。陽極電圧は定格300Vであるが、250Vを加圧し、約110mA流れた。各本55mA相当である。
ダミーランプの光り具合から出力は1W程度であろうか、その後50Ωのダミーに変更したところ大凡1.5Wの出力が確認出来た。単純計算では、電力増幅管の入力は10W程度となるが、それにしては出力が少ない。
一方、流石にドイツの野戦用機材で、周波数の安定度は抜群である。しかし、A1モードで電鍵を叩くと、安定化電源を使用しているが、復調信号音は若干流れる。主発振・電力増幅構成のため、当然の結果であろう。
簡単な動作確認試験ではあったが、大凡の状況は把握出来た。入力の割に出力が少ないが、これは発振部・電力増幅部のトラッキングエラー、疑似負荷のインピーダンス等に関係していると推察された。
A3モードでの動作も確認したかったが、残念ながら使用出来るカーボンマイクが無いため、今回は諦めた。
5W.S.諸元
用途: 野戦用
通信距離:60km(電信)、18km(電話)
送信周波数: 送信950-3,150kHz(4バンド)
電波形式: 電信(A1),電話(A3)
送信出力: 5W
送信構成:発振2RS241、電力増幅2RS241、格子直接変調
電源装置: 12V回転式直流変圧器、ペダル式発電機
空中線: 単線展開式
当館(横浜旧軍無線通信資料館)は比較参考資料として、大戦時に於ける英米独の代表的な無線機材の収集も行っている。参考資料のため対象とする機材は限定的であるが、其れにしても未入手の物は多くある。
その中の一つがドイツ陸軍の野戦用送信機で、特に小生が入手したいのは送信出力5Wの5W.S.(5 Watt Sender)である。この送信機は1930年代の前半に導入された汎用の小出力短波送信機であるが、現存機が少なく、また、独特の外観構造から人気もあり、中々入手が困難である。
併せ、最近の円安により、その対価も大きくなり、当館の予算では対応が難しい状況となりつつある。このため、所蔵する機材との交換により「5W.S.」の入手を図ることを計画し、ドイツ軍無線機材のFB「WWU German Signals and Communications Equipment」に投稿を行った。
今回当館が提供するのはドイツ陸軍の野戦用携帯式無線電話機「Kleinfunksprechr.d(Kl.Fu.Spr.d)」である。本機は1938年頃に導入された歩兵用の携帯式無線電話機で、運用周波数は32-38MHzのVHF帯である。Kl.Fu.Spr.dは「Dorette」の愛称で呼ばれ、欧州の収集家には人気の機材である。
この「Dorette」 は帝国陸軍の94式6号無線機や、米軍のBC-222等に類似した簡易無線電話機であるが、装置は周波数の安定、変調特性、電源の消費に配慮した設計で、また、受信部にレフレックス回路を使用するなどして、非常に小型である。
当館が提示した「Dorette」は無線機本体、電池ケース、送話器、受話器及び空中線で構成された一式で、オリジナルの木箱に収容されている。構成各装置も当然オリジナルであるが、特に電池箱は誠に希少で、所蔵する蒐集家は希である。
小生の提示する「Dorette」が「5W.S.」に釣り合うのかは受け手次第であるが、期待を込め、連絡を待っている。
5W.S.諸元
用途: 野戦用
通信距離:60km(電信)、18km(電話)
送信周波数: 送信950-3,150kHz(4バンド)
電波形式: 電信(A1),電話(A3)
送信機: 出力5W
送信構成:発振2RS241、電力増幅2RS241、格子直接変調
電源装置: 12V回転式直流変圧器、ペダル式発電機
空中線: 単線展開式
Kl.Fu.Spr.d(Dorette)緒元
用途: 歩兵用
通信距離: 2-4km
周波数: 32-38MHz
電波形式: 電話(A3)
送信出力: 0.2W
送信構成: 主発振DDD25(双三極管1/2)、電力増幅RL1P2(五極管)、陽極変調DDD25(1/2)
受信構成: 高周波増幅1段RL1P2、超再生検波DDD25(1/2)、低周波増幅1段(レフレックス/高周波増幅管兼用)、低周波増幅2段(兼変調回路)DDD25(1/2)
電源: 乾電池、高圧150V、低圧1.4V
空中線:垂直型1.65m、4mダブレット(整備品)
運搬: 兵員一名にて携行
先般、ドイツの蒐集家Dieter Beikirch氏より、大戦期に於けるドイツ海軍、空軍の代表的対空監視用レーダー「Freya」の送信機を構成した発振器の写真提供があった。本器の写真は誠に希少で、このため、参考資料として掲示を行うことにした。
当該発振器は直熱式三極管TS41二本(P.P.構成)による自励発振方式で、同調回路はレッヘル線構成である。発振管の陽極電圧は8,000V、格子電圧は-2000Vで、変調管の出力パルスにより格子回路が制御され、尖頭出力20kWで発振する。
Beikirch氏はドイツ空軍の機上用レーダーや電波探知機に関わる大きなコレクションを所蔵し、その中には、先年当館(横浜旧軍無線通信資料館)が入手した誘電体空中線素子を装備する機上用マイクロ波電波探知機、「FuG350」も含まれている。
既に掲示を行ったが、最近当館はドイツ海軍の水上警戒レーダー「Seetakt(ゼータクト)」の送信機を構成した発振器を入手した。このため、資料として細部写真をBeikirch氏に提供したところ、その返礼としてか、氏が最近入手した「Freya」送信部・発振器の写真が送られてきた。
当館が所蔵する「Freya」の資料は米軍のTMが中心で、残存機に関わる物は皆無である。今般Beikirch氏が入手された発振部は完品で程度もすこぶる良く、資料としては誠に貴重である。
対空監視レーダーFreya(フライア)
本機はGEMA社がドイツ海軍の依頼により1937年(昭和12年)に開発した地上設置型の対空早期警戒用レーダーで、標的の方位角及び距離の二諸元を測定した。フライアの本格的導入は1939年(16年)で、当初本機の測定は最大感度方式であったが、その後等感度方式に改良された。
ドイツ空軍は早い時期に敵味方識別装置(IFF)FuG25aを導入したが、このためフライアにもIFF信号の測定機能が追加され、IFF用受信空中線は既設空中線装置の上部に設置された。機上のFug25aはフライアの送信波を受信すると、そのバルスに識別用の変調を行い156MHzで返送した。
IFF機能の追加により、改修型のフライアは電子銃が二重構造のブラウン管(CRT)HR2-100-1.5を使用し、探索、測距、方位等感度測定用の反射パルスをCRTの上部に、IFFの返送パルスをその下に併せ表示した。
フライアの公称探索距離は200kmで、大戦後期になるとその探索範囲の拡大が要望され、遠距離監視型として海軍は仰角測定機能を具えたWasserman(ワッサーマン)を、空軍はMammute(マムート)を導入したが、空中線を除く主装置は既設フライア装置の転用、または、一部機能を追加したものである。
フライアと同時期に艦艇、沿岸警備用として375MHzを使用したゼータクトが開発された。本機は空中線や高周波部を除き、波形表示方式や測距装置の構成はフライアと同一で、初期型の測定は最大感度方式であった。
Freya(等感度測定式)諸元
用途: 対空早期警戒
運用周波数: 125MHz
繰返周波数: 500Hz
パルス幅: 2μs
尖頭出力: 20kW
送信空中線: 半波長ダイポール垂直6列2段、金網式反射器付
受信空中線: 半波長ダイポール垂直3列2段左右二組(等感度測定構成)、金網式反射器付
送信機: 発振管TS41 x2(P.P.構成 )
変調方式: パルス変調管RS391
受信機: Wスーパーヘテロダイン方式、高周波増幅1段、第一中間周波増幅2段、第二中間周波増幅2段、低周波増幅1段
中間周波数: 第一中間周波数15MHz、第二中間周波数7MHz、帯域幅900kHz
測定方法: 等感度方式
信号表示: Aスコープ方式
有効測定距離: 150km
測距精度: ±50m
測角精度: ±0.2°
設置場所: 海抜60m以上
電源: 一次電源380V三相
帝国海軍とFreya
1941年(昭和16年)1月、帝国海軍は英国と熾烈な戦いを交えていたドイツに軍事視察団を派遣したが、団員であった伊藤庸二造兵中佐(当時)他数名は3月23日の夕刻、ロリアン軍港(フランス)近郊でドイツ海軍の陸上設置型レーダーを検分する機会を与えられた。
伊藤中佐が検分したレーダーについては諸説が有るが、当時のドイツ海軍が装備し、外部への開示が許可できる機材は、既にその存在が知られた対空監視用のX装置(フライア)以外にはなく、また、検分時に伊藤中佐が描いたスケッチが明確にそれを示している。
当時帝国陸海軍は英独他各国に駐在する武官等よりの情報を基に、レーダーの研究を始めていたが、肝心な電波形式が判然とせず、本格的開発には程遠い状況であった。しかし、ドイツ海軍の情報開示により、発射電波はパルス変調方式である事が判明し、また、送受信用空中線や送受信機、及び波形表示方式等も明確となり、この情報は電報により直ちに海軍本部に報告された。以降帝国陸海軍のレーダー開発は急速に進捗した。
幸いにも当館(横浜旧軍無線通信資料館)は、大戦後期に帝国海軍技術研究所が開発した対空監視用レーダー「3式1号電波探信儀3型(13号電探)」の主要構成機材を所蔵している。
この13号電探は、20年近く前に静岡県沼津市の山間にある茶農家の倉庫の奥から発見され、近所のアマチュア無線家が入手したものである。発見された13号電探は2セットあり、いずれも未使用の状態であったが、波形指示装置と自動電圧調整器が共に欠落していた。
話によると、この機器の経緯は、1945年(昭和20年)8月15日頃、駿河湾を見渡すその場所に海軍の兵隊がこれらの装置と共に現れ、設営を始めた。まもなく終戦を迎えると、兵隊は装置(13号電探)を残して引き揚げたという。しかし、茶畑の主は兵隊が装置を回収しに来ると思い、これらを倉庫の奥に保管したが、その後50年以上忘れ去られていた。
此れ等を入手したアマチュア無線家は、東海大学工学部に持ち込み、調査の結果、本機は海軍の対空監視用レーダー「3式1号電波探信儀3型」であることが判明した。戦中、沼津海軍工廠は13号電探を製造しており、このため、所蔵者は1台を沼津市明治史料館に寄贈し、他の1台を当館が入手する事となった。
さて、今回の本題はここからである。
先日、帝国陸海軍の電波兵器に関する調査のため、ある研究者が来館された。この方は、当館が所蔵する13号電探の受信機について、錆具合の違いから、本体と上蓋が一致していないと指摘された。
事務局員はその観察眼に驚いたが、事実、当館の受信機は本体と上蓋が別物である。実は、受信機の上蓋は沼津市明治史料館が展示している受信機の上蓋と、入れ替わっている。おそらく、元所蔵者が一台を沼津市明治史料館に寄贈する際、状態の良い上蓋を手元に残したため、両受信機の上蓋が入れ替わったのであろう。
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この件については、以前沼津市明治史料館の学芸員とお話し、交換の了承は得ているものの、実際にはそのままで、今日に至っている。そろそろ交換の時期かも知れない。
13号電探
本機は大戦中期に導入された海軍陸上部隊用の可搬式対空警戒用レーダーである。13号電探は前線への配備を考慮した小型、軽量機材で、設置、取扱が容易の為、陸上使用と併せ、装備の一部を変更し、航空母艦より潜水艦まで、殆ど総ての海軍艦艇にも装備された。このため、13号電探の生産台数は2,000台を越え、海軍で最も成功した対空警戒用レーダーとなった。
13号電探の開発
1941年(昭和16年)12月、海軍技術研究所は開戦を目前にして11号電探の開発に成功したが、本機は重量過多で、設置には多くの労力と時間を要した。このため、前線への運搬、設置を考慮し、トレーラー式の12号電探が導入された。
しかし、戦局が緊張するに従い、一線の戦闘部隊より、更に小型で軽便な電探導入に対する強い要望が寄せられ、1943年(昭和18年)の初頭に運用周波数150MHzを使用した尖頭出力10kWの1号電波探信儀3型(13号電探)が開発された。
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13号電探は従来の機材に比べ遙かに小型で、単相100Vでの運用が可能であった。特に空輸及び人力により運搬を可能とする為、空中線を含む全構成機材は小さく分解でき、機動性には格別の配慮が為されていた。本機は構成真空管の数量を制限した戦時型機材ではあったが、その性能は11号、12号電探を凌駕し、以後対空警戒用電探の整備は13号が中心となった。
13号電探概略(陸上設置型)
本電探は空中線装置、送信機、受信機、波形指示装置及び自動電圧調整器等により構成され、侵入する航空機の、距離、方位角の二諸元を測定した。13号電探は特段の探信室を備えておらず、設置場所は仮設テント、地下壕、防空壕、家屋等臨機応変に選定された。本機の諸元は以下の様なものである。
13号電探緒元
用途: 対空警戒
設置場所: 陸上・艦艇・潜水艦
有効距離: 編隊100km以上、単機50km以上
周波数: 150MHz帯
繰返周波数: 500Hz
パルス幅: 10μs
送信尖頭出力: 10kW
空中線: 半波長ダイポール水平2列4段、反射器付、送受兼用
送信機: 発振管T-311 x2(P.P.)
変調方式: パルス変調、変調管T-307
受信機: スーパーヘテロダイン方式(11球)、高周波2段(UN-954 x2)、混合(UN-954)、局発(UN-955)、中間周波5段(RH-2 x5)、検波(RH-2)、低周波増幅1段(RH-2)
中間周波数: 14.5MHz
帯域幅: ±100kHz
総合利得は120db以上
信号表示: Aスコープ方式
測定方法: 最大感度方式
測距精度:2-3km
測角精度: 10゜
電源: 単相110/220V交流電源式
重量: 110kg
製造: 東芝・安立、1,000台
先般、米国の収集家より、氏が最近入手した「1568型受信機」として知られる正体不明の受信機について、情報提供の依頼があった。幸いにも依頼文には本受信機の写真と共に回路図が添付されており、当館(横浜旧軍無線通信資料館)は漸く「1568型受信機」の細部構成を知る事が出来た。
小生はその昔、米国のフロリダでOrdnance Technical Intelligence Museumを運営していた故William L. Howard(Bill)氏より本受信機に関わる数枚の写真と、米国陸軍通信隊が作成した報告書「CAPTURED ENEMY EQUIPMENT」の提供を受けた事がある。
今般問い合わせを受けた受信機は、構成や各部の傷より、Billより写真提供を受けた機材と同一である事は間違い無く、所蔵者の交代があった事が覗える。
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「CAPTURED ENEMY EQUIPMENT」は本受信機を「Japanese Receiver 1568」として紹介しているが、残念ながら当館が入手した資料はその一部で、内容の全ては把握していない。しかし、構造から用途は特殊工作員用と表記されていたと考えられ、BillのHPでは本受信機をスパイ用と表記していた。
これが事実であれば、1568型の開発元は「陸軍技術本部第9研究所」(元陸軍科学研究所登戸出張所)第一科(電波兵器、気球爆弾、無線機、風船爆弾、細菌兵器、牛疫ウイルスの研究開発)と言う事になるが、残念ながら当館は、それを裏付ける資料を持ち合わせていない。
本件に関わり、当館は先方に手持ちの資料及び推測される製造元、本人が興味を持つ品川電機製電池管の資料を提供した。しかし、これらに特段新しい情報は含まれて居らず、役に立ったかは不明である。
1568型受信機について
本受信機は品川電機製のMT型直熱式五極管B-03(1T4相当)三本で構成されるストレート式受信機で、製造は大戦後期と考えられる。構成は再生(オートダイン)式検波、低周波増幅2段方式で、運用周波数は1.8〜10MHzであり、この周波数帯を各バンド共通の同調コイルを切替え4バンドで受信し、同調機構はバーニア式である。
検波回路の再生誘起方式は可変式蓄電器による陽極回路の帰還量調整方式で、検波管の陽極負荷回路には17Hのチョークが装置されている。また、再生調整補助及び電源スイッチを兼ね、線條回路には電圧調整用のレオスタット(5Ω)が装置されている。
低周波増幅部はB-03による2段構成であるが、段間はCR結合で、出力回路は17Hのチョーク負荷によるハイインピーダンス構成である。また、低周波増幅管にバイアス電圧を加圧する構成とは成っていない。
この度、ドイツ海軍の艦艇用レーダーSEETAKT(ゼータクト)を構成した送信機の発振部を、ドイツの収集家より入手した。
先般、当館(横浜旧軍無線通信資料館)はドイツ空軍の機上用マイクロ波レーダー探知機「FuMB 23」を構成した誘電体空中線素子を入手したが、之に続き、海軍のレーダー関連機材を収集出来た事は、誠に幸いである。
「SEETAKT」
本機はドイツのGEMA社が1938年(昭和13年)頃に開発した海上警戒用レーダーで、運用周波数は368-390MHzである。初期型である「FuMO 22」の送信機はGEMA社製の三極管TS-1二本によるP.P.構成で尖頭出力は1.5kW、測定は最大感度方式であり、方位角や距離の精密測定機能は具えていなかった。
FuMO 22」は大戦初期に大西洋やインド洋における通商破壊作戦で活躍しポケット戦艦、Graf Spee(グラフ・シュペー)に搭載されたが、本艦は1939年(昭和14年)12月13日に英国艦隊との交戦により損傷し、中立国ウルグアイのモンテビデオ港に退避したが、12月17日に港外で自沈した。
SEETAKTの送信機は導入間もなくして同社の三極管TS-6二本のP.P.構成に改修され、尖頭出力は8kWに増大し、以降本レーダーには各種の改良が施された。
米国海軍のアーカイブスには、大戦後米国が接収した重巡洋艦Prinz Eugen(プリンツ・オイゲン)に装備されたSEETAKT「FuMO 26」の写真が残されている。
これらの写真より判断して、本機の構成はGEMA社が開発した地上設置の対空監視レーダー「FREYA」(フライヤ)と運用周波数、空中線装置、送信出力を除き、殆ど変わるところが無く、等感度測定方式による精密方位角測定機能及び精密測距機能を具えている。
入手発振部
今般入手の発振部はSEETAKTの初期型で、構成は三極管TS-1、TS-1aの二本によるP.P.構成の自励発振器であり、尖頭出力は1.5kWと考えられる。本発振部は筐体への差込式で、装置はステアタイト板二枚と銀メッキを施した合金製の部品により構成されている。
発振管TS-1及びTS-1aを装置した二枚のステアタイト板は、四隅の金属棒を介し背面が対向した構造で設置されている。その中間にレッヘル線式の陽極及び格子同調回路が配置され、出力側コイルは筐体側に装置される構成である。
構成管TS-1及びTS-1aは同等管ではあるが、TS-1aはTS-1に対向させると、電極が鏡面対象配置となる構造である。
各発振管は線條回路に半固定式蓄電器を装備した同調回路(トラップ回路)を具えているが、同調コイルはU形状の合金板で、タイト板に作った薄い溝に填め込んだ構造である。
以上の如く、本発振器は構成管も含め、その設計は誠に合理的で、また、製造も見事で、GEMA社の技術の高さを示している。
SEETAKT(FuMO 26)普及型諸元
用途: 水上警戒
搭載艦: 戦艦、巡洋艦
周波数: 368-390MHz
繰返周波数: 500Hz
パルス幅: 2-3μs
尖頭出力: 8kW
送信空中線: 半波長ダイボール12列2段(水平配列)
送信機: 発振管TS-6 x2(P.P.構成 )
変調方式: パルス変調
受信空中線: 半波長ダイボール12列2段(水平配列)
受信機: ダブルスーパーヘテロダイン方式
中間周波数: 15/7MHz
測定方法: 等感度度方式
信号表示: Aスコープ方式
測定距離: 20-25Km
測距精度: ±50m
測角精度: ±0.5°
一次電源: 艦内交流電源
先般、地1号無線機を構成した受信機を入手した。この受信機は形状や構造から、当館が所蔵する「地1号無線機・受信機」(初期型)よりその製造時期は古い。このため、本機は「地1号無線機」を構成した受信機の、原型ではないかと考えられる。
入手受信機の程度は良好で、電源入力端子を除き、原状を維持している。しかし、前面パネルや収容ケースは戦後の整備作業により、濃い灰色に塗り替えられている。塗色より、おそらく本機は戦後、NHKで中継用受信機として使用されていたと推察される。
地1号無線機
本無線装置は第四次制式制定作業(1939年より漸次実施)で兵器化された陸軍航空部隊の遠距離用通信機材で、第3次制式作業(1934年)で兵器化され、その後航空部隊用としては不整備となった94式対空1号無線機の実質的後継機であり、対空通信距離は電信で1,000km以上である。
地1号無線機を構成する受信機は高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式で、開発元は安立電気である。安立電気は本受信機の開発に際し、米国ナショナル社製のHRO型受信機を参考にした。このため、構造はHROに類似するが、フロントエンドの配置、同調機構や各部の造りは大きく異なっており、似て非なる受信機として完成した。
地1号無線機原型諸元
用途: 対空、対地通信
通信距離: 1,000km以上
「送信装置」
運用周波数: 2,500-13,350kHz、
電波型式: 電信(A1)、変調電信(A2),電話(A3)
送信出力: 電信1kW、変調波400W
構成: 水晶又は主発振UY-511B、緩衝増幅UV-1089B、電力増幅UV-815 x2P.P.(プッシュプル)構成、音声増幅1段Ut-6L7G、音声増幅2段UZ-42、音声増幅制御KY-84、格子変調UV-845
電源装置: 8馬力発動発電機
空中線装置: 逆L型又はダブレット型、柱高12m、水平長35m、地線は地網4枚
「受信装置」
運用周波数: 140-13,350kHz
構成: スーパーヘテロダイン方式、高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段、帯域濾波器・AVC機能付
空中線装置: 逆L型
「地1号無線機・受信機」(初期型)装置概要
本機は高周波増幅2段、中間周波増幅2段、低周波増幅2段のスーパーヘテロダイン方式で、140-13,350kHzの周波数帯を差替え式線輪8本で受信する。電源は外部設置式である。
空中線入力回路は単線式で、強電界による飽和を避けるため、可変式減衰抵抗器を具えている。フロントエンドは五極管UZ-78による高周波増幅回路2段、五極管UZ-77による周波数混合回路(第一検波)及びUZ-77による局部発振回路により構成されている。
第一検波は陽極検波方式で、また、局部発振はハートレー発振回路の変形であり、出力を周波数混合管の第3格子に注入している。各段の同調回路は4連式可変蓄電器により構成され、金属製同調機構に直接結合された構成である。高周波増幅段、第1検波段には同調手動補正用として、小容量の可変式蓄電器が付加されている。
同調ダイアル機構は金属製のウオームギヤで構成され、同調ノブで100度目盛りのドラムを回転させ、周波数は差替式コイルに添付された周波数置換表により読み取る。同調ノブは小型のエボナイト製でフライホイール効果は無く、また、副尺を具えていない。エボナイト製ノブの採用は同調蓄電器が直接金属製ダイアル機構に接続されているため、ボディイフェクトを防ぐ意匠と考えられる。
中間周波増幅回路はUZ-78による2段増幅方式で、中間周波数は受信周波数140-1,500kHzが60kHz(1号IFT)、1,500-13,350kHzが400kHz(2号IFT)で、中間周波数の変更はプラグイン式IFTユニットを受信機の上部から差替えて行う。本受信機の手動利得調整は、中間周波増幅管のカソード電圧可変方式である。
中間周波増幅2段出力側と検波回路の間には400kHzの水晶片1個で構成されるブリッジ平衡式の帯域濾波器が装置され、可変式蓄電器により帯域幅を250〜8,000Hz程度可変する事が出来る。しかし、この濾波器機能は2号IFT使用時にのみ動作する。
第二検波は双二極・五極複合管Ut-6B7の二極部で行う整流検波方式である。電信復調用BFO回路はUZ-77によるハートレー発振回路で、出力をUt-6B7の二極部に注入している。BFOコイルはIFTと同様に60kHz及び400kHz用の二種で構成され、中間周波数の変更に合わせ差替えを行う。低周波増幅部はUt-6B7の五極部及びUZ-77による2段増幅構成で、出力インピーダンスは2KΩである。
本受信機はAVC機能を備えており、検波回路で発生させたAVC電圧を高周波増幅1段、2段、中間周波増幅1段、2段を構成する各管の第一格子に加圧している。AV機能の接・段は電信・電話切替器により行い、電話モードの場合にのみ動作する。
本受信機の手動利得調整は中間周波増幅管の陰極電圧を可変方式のみであり、AVC動作時に低周波出力信号が過大となる場合は、空中線入力回路の可変式減衰抵抗器により入力信号強度を低減させる。
先般、RCプロポの研究家である廣瀬玄一氏より、火花式送信機(B電波)とコヒーラ式受信機で構成されるRCセット「PALCON YK-1」を、等価交換にて入手させて頂いた。
本装置は日東化学教材株式会社が1963年(昭和38年)頃に販売したと考えられるが、その主用途は、左右のキャタピラを個別のモーターで駆動するプラモデルのプルドーザーや戦車である。
「PALCON YK-1」は真空管が発明される以前の技術を応用した無線操縦装置で、その動作原理は増田屋斉藤貿易が1955年(昭和30年)に発売した「ラジコンバス」と同一である。
帝国海軍は1903年(明治36年)に火花式送信機及びコヒーラ式受信機で構成された「36式無線電信機」を開発し、本機は日露戦役に於いて、日本海海戦の勝利に大きく貢献した。
このため、当館(横浜旧軍無線通信資料館)は資料として、火花式送信機やコヒーラの収集を進め、その一環として「ラジコンバス」も所蔵している。しかし、小生は最近まで「PALCON YK-1」の存在を知らず、net上で其れを発見した際は驚愕した。
この種のRCセットが販売されていた事は、誠の驚きではあるが、構造からして、動作は必ずしも安定せず、購入者は調整や操縦に苦労したと考えられる。販売台数も僅かであったと推察されるが、実際に使用された方の話しを聞いてみたいものである。
「PALCON YK-1」装置概要
本RCセットは火花式送信機、コヒーラ検波器式受信機により構成されている。受信機には円盤構造の出力制御器(セレクター)が装置され、エスケープメナト等の外部制御装置を使用すること無く、走行駆動用のモーター1個、又は2個を制御する。取扱説明書によると、本機の操縦可能距離は15m程であるが、入手機材は経年によりコヒーラが劣化し、可動範囲は数十cmであった。
☆送信機
本機は高圧発生用トランスの一次巻線に直流6V(単2四本)を加圧し、これをブザーにより断続し、二次側巻線に高圧を発生させるバイブレター式誘導コイル構造である。出力側には放電によりB電波を発生させるスパークギャップが装置され、放電間隔からして、発生電圧は500-800V程度である。送信機側面のボタンを押すとブザーが起動し、パルス性のB電波が発射されるが、ケースは密封され、「ラジコンバス」の送信機とは異なり、放電状態を確認する事は出来ない。
☆受信機
本機はコヒーラ検波器、電池、継電器より成るB電波検出用ループ回路、及び走行用モーターを制御する制御器(セレクター)により構成されている。肝心のコヒーラはガラス管に金属粉を封印した構造で、スタンドの上部に、片側のみを固定した状態で装置されている。
★B電波検出用ループ回路
コヒーラの金属粉表面を覆う皮膜が、B電波のパルスで破壊され導通すると、ループ回路に電流が流れ、継電器が動作する。この継電器はダイナミックスピーカーのボイスコイルと同一構造で、永久磁石の中に可動コイルが装置され、回路に電流が流れると上方に飛び出し、上部のスイッチを動作させる。このスイッチは、セレクターの駆動モーター制御用である。
コヒーラは一度導通するとその状態を維持するため、これでは次の動作を制御する事が出来ない。このため、コヒーラに物理的ショックを与え、導通を解除する必要がある。この解除装置はデコヒーラと呼ばれ、本機では車輌の走行用モーターを制御するセレクターと一体構造に成っている。コヒーラが導通し、継電器の動作によりセレクター駆動用のモーターが回転すると、ギャ機構を介しハンマー構造のデコヒーラが、一定時間後にコヒーラの管を叩く構造である。この動作によりコヒーラの導通は解除され、ループ回路は断と成り、セレクターは停止する。
◎コヒーラ補足
本器の動作については諸説があるが、一般的には以下の様に説明されている。
「内包された金属粉は自然又は人工的に形成され、高い電気抵抗を持つ薄い酸化膜、水酸化膜等の金属化合物膜に覆われている。しかし、高周波が加圧されると接触部分に電圧が集中し、結果被膜が破壊され、下地の金属同士が接合して導通と状態となる。」
★セレクター
本装置は円盤構造の回転式スイッチで、シーケンシャル構成により、5段階でスイッチ回路に接続された各走行用モーターを制御する。
◎動作補足
コヒーラが導通すると、継電器の動作によりセレクター駆動用のモーターが動作し、スイッチ盤が回転する。スイッチ盤のスイッチ回路は5分割された構造で、送信機のボタン操作1回で、1段ずつ進み、切替回路に従い、接続された走行用モーターを動作させる。
制御する走行モーターは1個又は2個で、2個の動作はブルドーザーや戦車等の、各キャタピラにモーターを夫々1個を装備した場合である。制御は5段階で、動作例は以下である。
例・モーター1個
送信機のボタン操作各1回により、@前進、A前進、B停止、C後進(モーター逆回転)、D停止。方向転換機能無し。
例・モーター2個
@前進(両キャタピラ駆動用モーター2個動作)、A右折(右側モーター停止)、B左折(左側モーター停止)、C後進(両モーター逆転)、D停止。
先般、SHF発振管であるBK管、LD-30-Aについて概観を行った。BK管はBarkhausen・Kur振動管として有名であるが、通信機や電波兵器に於ける使用例が少ない不思議な球である。
SHFの発振管としてはマグネトロンが有名で、先の大戦でマイクロ波レーダーの発振管として使用され、大きな発展を遂げたが、本管と同様に磁場を利用したSHF発振管には「大阪管」がある。
大阪管は大阪帝国大学理学部教授の岡部金治郎により1935年に開発されたが、本管は外部同調回路と一体で動作し、また、発振原理はBK管に相似している。大阪管は分割型マグネトロンのB型振動に比べ能率が悪く出力も劣るが、発振周波数を可変出来、変調が容易な事等の特徴がある。
帝国海軍はマイクロ波レーダーの局部発振管として本管の利用を研究したが、兵器用としては電圧調整が複雑との理由で、使用を見送った経緯がある。この大阪管もBK管と同様に、有名な割には殆ど実用された記録が無い。
大阪管と発振動作
掲示資料-1は大阪管を使用した発振回路の一例で、出典は「特殊熱電子管」(著岡部金治郎)である。真空管の電極構成はBが一次電子反射鏡、Fは一次電子放射線條(陰極)、P1、P2が振動陽極、P”は反射電極で、Hは磁場の方向を示し、Lは同調回路である。
本管の陽極P1、P2には直流正電圧が、反射電極P”にはほぼ零の電圧が加圧されている。陰極Fより出た電子は軸方向に加えられた磁界により陽極間を通過し反射電極に向かうが、その電位が零に近いため追い返され、結果電子の反復運動(振動)が発生し、振動のエネルギーがP1、P2に接続された同調回路より出力される。また、反復運動を行う電子の殆どは、やがてP1、P2に吸収される。
この電子の運動はBK管と同一で、発振周波数は通常振動陽極に接続される同調回路によって定まるが、これはBK管に於けるGM振動に相似している。
大阪管に付加する磁場は磁界により電子流を収束させ、振動陽極に電子が直接取り込まれるのを防ぎ、発振効率を高めるためである。電子の進行方向を強力な磁場により曲げ、周回運動を発生させ、発振を誘起させるマグネトロンとは使用目的が異なっている。
大阪管の構造
掲示資料-2は当館(横浜旧軍無線通信資料館)が所蔵する大阪管の内部である。本管の構造は資料-1の発振回路を構成する大阪管に相似しており、構成電極はステム上部に横向きに配列されている。
電極の配置は左端より、一次電子反射鏡(B)、一次電子放射線條(F)、振動陽極(P1)、振動陽極(P2)、反射電極(P”)で、P1、P2電極は凹型構造となっており、磁界により収束した運動電子は中央を通過する。また、出力リードに接続された振動電極P1、P2はステムより伸びるガラス管により固定されている。
岡部金治郎補足
1922年に東北帝国大学電気工学科を卒業し同校の講師となり、1925年に助教授となる。アメリカ人のA. W. Hullが発明した低周波増幅用の単陽極マグネトロンを学生と実験中、磁界と陽極電流の測定値が理論値とずれていることに気づき、これより発振現象を発見した。
1927年にマグネトロンの陽極円筒を縦に分割すると効率良く発振(A型振動)が起こり、併せ第二の振動(B型)が発生することを発見し、多分割陽極による高出力マグネトロンの開発に道を開いた。
1935年に東北帝国大学の恩師八木秀次教授が大阪帝国大学(阪大)に理学部を創設すると、要請され、名古屋高等工業学校教授より阪大理学部助教授に就任した。その後教授となり、長年にわたり教育と研究に携わり、マイクロ波の分野に多大な功績を残した。
大阪管は阪大に移った後の1935年に考案したが、本管を「大阪管」と命名したのは恩師八木秀次教授であったと伝えられている。